| 住居場所............にいがた県 |
| 身体年齢............49歳 |
| サイズ..................M 物によっては L |
| 性格.....................スロー |
| 家族.....................夫1・娘3・犬1・兎1・鳥2 |
| 趣味.....................空想 |
| 座右の銘.............継続は力なり |
不思議との付き合い履歴
窓のサンに干してあった私の生ゴムのオムツカバーをボ〜っと見ていた私や(今もボ〜っと外を見ているのが好き) テレビが相撲の中継をしている最中に、 じいちゃんがオムツを換えてくれてた状況を覚えている。(くさいなぁと言われたような。。。) 大人になって数人の友人と昔話に花が咲きこの話をしたところ 「そこまで覚えている人はいないでしょう?」とみんなに言われ、 『おかしいのかな?!』と普通ではないのかもしれないと思うことにしていたので、私の不思議の1つにすることにしました。 だから、私の不思議はきっと生まれて数ヶ月後から始まっていたのではないかとおもってます。 5歳で新潟市内に引越し。その後、新潟地震を経験しました。大きな石油タンクが燃え、夜は真っ赤な空で異常な恐怖を感じていました。 まだ引っ越す以前にこわ〜いこわ〜い夢をみたことがあり、そのこわ〜い夢は高校生になっても時々みていたのです。 そして『あの真っ赤に燃えている空は夢に出てくる情景と似ている』と気が付いた頃からその夢を見ることがなくなりました。 その夢とは。。。。つづく 08/04/10更新 (前世での死に方) 数十年前に流行った置物に、無色透明なガラスの中に水といろいろな色を付けた油?らしき液体が入っていて、 スイッチを入れるとその液体たちが動き出す。という物があったんだけどご存知だろうか? その動き方で、赤、オレンジ、青、黄色、緑、の光が私の周り一面にゆっくりとうごめき合い、その中に『あついよぉ』『助けてぇ』 とさまざまな声とざわつきも光の動きと同じようにゆ〜っくり、ゆ〜っくり聞こえる夢です。 その場所に居たたまれなくなる頃きまって目が覚める。 目が覚めても親が聞いているラジオの声もゆっくり聞こえ、しばらくの間は夢の中から帰ってきた気がしないのです。 高校生の頃、あの地震のときの空を恐ろしく感じた幼少期の思い出と夢を照し合せ考えた事は、きっと今の私の前の私はどこかで大火事あるいは戦争で亡くなったのだろうということでした。 ある日、テレビで戦争時の思い出の絵を紹介するという番組がありました。 その沢山の絵の中に爆弾で家々が燃え、火から逃れるため川に飛び込む人たちの情景の絵を見ました。 私はなんだかそこに居たような気がするのです。 中学生になり友達数人で夏恒例の怖い話をしていると、私は誰もが経験して知っていて話す必要もない日常的なことだと思っていた事が すごく怖い話となって登場するのです。そこで私の経験していることは一般的には経験していない事なんだなと知ったのです。 「幽霊が出る前に人魂が現れるんだって、夜にお墓参りに行くのは怖いよねぇ」 「え〜、ヒトダマって骨のリンが燃えて出るとかって言ってたよ」 「ヒトダマって人の魂って書くんでしょ?それとも火の玉??」 鳥肌を立てて「ヒトダマ」の話に盛り上がっている ともだちをそっぽにしておバカさんだった私は『リン』という言葉の方が初耳で『リン』ってなんだろうと考え込んでいました。 人魂を最初に見て教わったのは小学生の低学年でした。 (人魂のお役目) その頃、親子3人で住んでいたのは6畳2間のお風呂なしのアパート住まいでした。 (当時は持ち家でもお風呂屋さんに行くのが当たり前でした) そろそろ夏も終わりに近く、日が暮れるのも早くなりやっと星が見えてきたような時間だったので6時過ぎ頃だったと思います。 ひとりでお風呂屋さんの帰り道。いちばんぼ〜しみ〜つけた♪に〜ばんぼ〜しみ〜つけた〜♪と星を探しながら歩いていると、、、 つづく 08/04/25 なんと流れ星!願い事を三回言えれば叶うって聞いていた私は、とっさの事で何を願ったらいいのか分からない。 分からないけど『おかしいな??』いつまでも消えない。消えないどころか近づいてくる。そして、尾が出来ている。 『ぜったい変』『ありゃ?!佐藤さんちの屋根に落ちたぞ』 私は火事になると思った。少しでも煙が出てきたら教えに行かなきゃならないと 私の頭の中は正義にみなぎっていた。なんせ、最初の目撃者なんだから。 けれど一向に煙が出てくる気配は感じられない。私は佐藤さんちの周りを調べ、屋根も三方(一方はお隣さんだから行くことが出来ない)から見てみた。 ない。何もおきていない。 不思議だった。考えてみれば落ちたなら見た目で衝撃を感じただろうし、確かにスウーっと屋根の瓦を通るようだった。 考えても始まらない。それより火事にならないで良かった。と、けじめを付けようとしながら家路に向かった。『やっぱりへんだな〜』と思いながら。 翌日、学校が終わり、お小遣いを握り締めていそいそと駄菓子屋に出掛けた。途中に佐藤さんちがある。 佐藤さんちの門の前にお葬式ムードの物が飾られていた。 私はすぐに解った。『天からお迎えがあるんだ』と。 その後は、当たり前のように光のお迎えを目撃するようになりその都度、合掌するようになりました。 あれは火の玉でなく、人の魂でもなく、光のお迎えなんです。 やはり小学生の頃です。 飼っていた手乗り文鳥を踏んづけてしまった時のことです。 (お題目は願いを叶えるアイテム) つづく。 08/05/2 更新 ピーコは、一人っ子で鍵っ子だった私の遊び相手でした。 ある冬のこと、学校から帰った私は、ピーコをかごから出そうと扉を開けるとバタバタバタとコタツの方へ飛んでいきました。 ピーコの姿が見えなくなり、「ピーコ!ピーコ!」と呼びながらコタツの周りを探しました。コタツの中に入るはずはないと思いながら 、布団を持ち上げるとそこには在り得ないほどペチャンコのピーコの姿。 私が踏んだ。。。。私が殺した。。。。さっきまで元気だったのに。。。。 私は罪悪感のかたまりになりました。 生き返って欲しい。なんとしてでも。さっきまであんなに元気だったのだから。 私の父はとても信心深い人で、朝晩欠かさず仏壇の前に座り、お経とお題目を30分ほど唱えていました。 その姿を見ていた私は、きっと助けてもらえると いう気がして、 掌にピーコを抱え仏壇に向かいました。ボロボロと涙はとまらず、泣きじゃくりながら『南妙法蓮華経』と何回も何回も唱えながら ピーコを生き返らせてください。ピーコともっと遊びたい。と願いました。 どのくらいの時間が経ったのか分かりませんが、正座をしている足はもう感覚なんてありませんでした。 すると、ピーコの肩辺りが動いたのです。驚きでいっぱいでしたが、立ち上がってくれるまではと思い私はお経を唱え続けました。 そして、ついにピーコは立ち上がり血がいっぱいの糞をしたのです。 見る見るうちに元気になり自分でお水も飲むようになったのです。 私はこのときお経というのは、『願いを天に届ける言葉』だと考えるようになりました。 現在の私のお経を唱える行為に対する意味はこの時と少し違っています。 (今後、書き記したいと思ってます) 小学校高学年になり凄いものを見て、地球ってすごいな〜って感激したのです。 (今にして思えば宇宙レベルだと思うんだけど) つづく。 |